沿革

〇大野義高OBが発案し、昭和41年末に鈴木英OB、水瀬芳雄OB、古川明OBと発起人会を実施。

〇大野義高OB発案時の考えは、

1.航空関係退職者の勤務先は概ね航空工業会の会員会社であって、万事私が連絡し易く発銭を行なうべきであろう。

2.会員は退職者の中、海将補以上とし、なるべく実益のあるものとする。

3.われわれグループを会員組織とし、会として常時海幕と密接な関係を保ち、又運営のやり方としては、関係部隊の訪問見学を行なうとともに隊員の士気の鼓舞に資し、現状に就いての各種講話説明をうけ更に工業会会員会社又は関連の部外研究所等の見学を行なって、会員の知識の収得に資する。

4.会員相互においては、研究発表及びその時々に起った問題について討論を行ない、その総合意見を会として関係部門へ開陳する。

〇昭和42年2月13日、日本工業会の会議室に13人のOBが会同。会則案、事業計画案を準備。

〇「会の名前だけは原案なしで総会の席上で、皆さんに案を出してもらって決めるやり方がよかろう・・」との記述から、創刊号の記事に総会期日は明記されていないものの、昭和42年の別の日に実施された可能性も。38号で松岡会長が「昭和42年2月に航空工業会の会議室で創立総会を開催する運び」と記述。日にちは特定していない。

なお、総会では会則、事業計画、「うみどり会」という名称(福田英夫会員提案)を決定。

〇入会資格は将補以上、当初会員は約20名。

〇入会資格が「退職時1佐以上のOB」に何時変更されたのか、記録が無く不明。

会誌31号の杉浦喜義OB寄稿によれば、昭和52又は53年と推量。

「海自航空創設期より苦労された64、65、66、67期の先輩が、多数1佐で定年退職しておられたと思う。肥田会員がそれらの諸先輩の意を受けて、入会資格の改正を会長等に具申されたことと思う。入会資格の改正は、昭和52年か同53年ではないかと推量」

〇会誌「うみどり」の創刊は昭和55年。当時の会長は、相生高秀OB(海兵59)。

〇初代会長は、創刊号の大野OBの寄稿では一番先輩の寺井義守OB(海兵54)とあるが、同じく創刊号に寄稿した鈴木英OBは「初代会長」の肩書を記しており、他に記録が無いことから初代会長が何方であるのか不明である。

〇また、昭和42年から同54年の会長も記録が無く不明であるが、会誌31号の杉浦喜義OB寄稿によれば、当時海将で退官された以下の方々が務められたものと推測。記憶から、少なくとも昭和50年、51年は大野OBが会長であったとのこと。

・寺井 義守(兵54)

・鈴木  英(兵55)

・山田 龍人(兵58)

・相生 高秀(兵59)

・大野 義高(兵59)

【寄稿文から要約】